Tuesday, April 20, 2010

bye bye GURU


my heart bounces to this beat, then make my eyes moist.



we lost one of the best rappers in the game. 



R.I.P GURU    July 17, 1966 – April 19, 2010


shakers (hanako)

Tuesday, April 13, 2010

ぼくの伯父さん

どうしてぼくが音楽をすきになったかというと、これはおじの影

響なのだろうと思う。おじは家は違うが同じ敷地内に住んでいた。

はじめてスリラーのプロモをみせてくれたのもおじさんだったし、

歌謡曲の世界、ハワイアンの世界、ジャズの世界を教えてくれた

のもおじさんだった。5歳のときから強制的にのど自慢大会にも

出場させられた。


おじさんは映写技師で経営していた映画館がつぶれると郵便配達

員になった。こうかくとニューシネマパラダイスやジャックタチ

の映画のようだが、そんな甘いものではなかった。このひとは破

天荒な人だった。ここには書かないけれど、この人はひどかった。

正確にいうとこの人の人生の中で、何年間かはひどかった。ひと

はたぶん人生のうちで何年間かはすごく忙しかったり、何年間か

は失業していたり、何年間かはさびしかったり、ということの繰

り返しなのだろうけれど、この人は、何年間かはひどかった。


そのことで幼少であったぼくがぐれるとか、心にトラウマがなん

ちゃらとかそういうことは一切なかった。いろいろな問題はもう

そこにあるものであって、「ある」からもうそれでいいのだ。


自分は(他人は)たいしたことないのだから、たぶんその問題

自分の(他人の)手にはおえないのだ。だから悩むだけ無だ。

最善の解決策をさがして実行するだけでいいのであって、そのま

わりのごちゃごちゃは一切いらない。最悪の自体を想定して、そ

うなる覚悟を決める。そして最善策を実行する。これだけでいい

とおもっている。


そのおじさんが数週間前に死んだ。肺炎だった。

兄弟である父親ではなく、母親がメールで知らせてきた。

「ぼくが子供のころから今まで、あなたが一番たいへんだったと思

います。ご苦労さまでした。それからだれもゆうてないと思うから

ありがとう、といっておきます」

というメールをおくった。

「あなたにそうゆうてもらえて、ほんとうにうれしいことです」

と、母親は返してきた。

読みおわってからお互いに「あなた」と呼びあっていたことに気が

ついた。


-Yuji


ジャック・タチ『ぼくの伯父さん』

Wednesday, April 7, 2010

もし私が男だったなら


この人と結婚したかったな。女から見てもとても素敵な女性。乳がんにかかっても公表することなどほとんどなかった時代。それにも関わらず力強く生きた女性。

皆が知ってる曲。ミニーが旦那さんと書いた愛の曲。


スティービーワンダーもミニーに注目していたという、ソロ前のバンド。ロタリーコネクション


The Shakers, Non a.k.a Yuki


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In October 2008, Shakers was born in the small apartment in Bushwick. Three music enthusiasts got together, listening to the beautiful music. This ritualistic gathering was simply called Listening Party, and it usually went down until six in the morning. Each one of us were baptized by pure pleasure of every elements of the sound, and formed organically the group called Shakers.